「10年後、どんな漫画家になっていたいか」を考えていた
デビュー作『神さまの言うとおり』(原作:金城宗幸)はシリーズ累計発行部数600万部を突破、 2014年には映画化もされ、一躍人気漫画家となった藤村緋二。だが故郷である熊本県から上京する時には、40万円とボストンバッグ1つがあるだけだった。
小さい頃から絵が好きだった藤村は、熊本市立必由館高等学校の芸術コース美術系に進学。将来の夢は画家。流行りの漫画を読む程度で、漫画家になりたいと考えたこともなかった。
「いろいろなルートはありますが、画家を目指すなら美大や海外留学をするのが一般的です。ただ、裕福な家庭ではなかったので、高校在学中の3年間で資本となるお金を稼がないといけないと考えていました」
目を留めたのは、父親が買っていた週刊少年マガジンに掲載されていた新人漫画賞だった。「漫画家なら絵も描けて、お金にもなる」。そう考えた藤村は、漫画家になる決意をする。そこからの行動は早かった。友人に借りたり、古本屋で購入したりした漫画を、表現技法に着目して読み漁った。
「どんな絵を描きたいか、10年後どんな漫画家になっていたいか、そのためにはどんな表現技法を身に付けるべきかを考えていました」
描き方やテクニックは同人誌活動をしている女子生徒のグループに「漫画を描きたいから教えてほしい」と頼み込んだ。
「“キャラが弱い”とか、“これを読んで誰が喜ぶの”とか、厳しいコメントも言われました(笑)」
漫画家になる決意をして半年後には、なんと60ページもの作品を仕上げ、新人賞に応募。将来性を見込まれ、すぐに担当編集者が付いた。それでも大学に行くか、漫画家を目指すか悩んでいたという。
「結局、親から『関東の美大に行かせるのは経済的に難しい』と言われて、東京に出て漫画家になろうと心を決めました」
だが手持ちの資金は、新人賞の賞金40万円だけ。熊本から上京するには心許ない金額だ。「大学の奨学金のようなものはないか」。調べて、見つけたのが上月財団の「クリエイター育成事業」だった。二次選考会が行われたのは上京して間もない頃。すでに『神さまの言うとおり』でのデビューが決まっていたが、2010年の助成対象者に選出。助成金は生活費と画材費、アシスタント代に充てられた。
「漫画界には『連載貧乏』という言葉があります。アシスタントを一人雇うのに、最低でも1日1万円かかるため、連載が決まった時に、資金がない漫画家は借金をするしかない。もし人気が出なくて、連載が打ち切りになると借金だけが残ってしまうんです。しかも当時の僕は未成年で、借金もできない状況だったので、助成金は本当に助かりました。僕は焦りや嫉妬などの感情は創作活動の邪魔だと思っているので、生活のために働かなくてよいと気持ちに余裕ができたのもありがたかったです」
漫画家は作品が雑誌に掲載されただけでは、ほとんど利益は出ず、単行本が売れて初めてきちんとした利益が出る。つまり連載が始まったとしても気が抜けない世界なのだ。藤村も連載当初は売れるとは思わず、打ち切りを覚悟していた。
「自分の絵はまだ稚拙だとわかっていたし、絶対に売れると思う余裕もありませんでした。だから、自分が描いた原稿が、雑誌のザラ紙に印刷された時にどう仕上がるのかという実験の場として考えていました」
だが予想に反して『神さまの言うとおり』は大ヒット。2021年、藤村は人気漫画家として、デビュー10周年を迎えた。
「振り返るとこれまでの10年は外部に顔も出さず、修練のために気持ちは内側に向いていました。そこでこれからの10年は今までブロックしていたものを壊す作業をしていこうと決めました。メディアに出演したり、絵の個展を開いたり、やったことがなくても面白そうなことには挑戦していきたいと思っています」
藤村の新たな歩みは始まったばかり。今後の活動を楽しみに見守りたい。