エールインタビュー5

スキージャンプ 小林陵侑 Ryoyu Kobayashi

まずは1勝。そして勝てたら、次の1勝

小林陵侑

飛んでいる時はすごく気持ちよくて、楽しいですよ」。そう語るのは北京オリンピック男子個人ノーマルヒルで金メダル、男子個人ラージヒルで銀メダルを獲得した小林陵侑だ。

出身地の岩手県岩手郡松尾村(現・八幡平市)は小さな村ながらスキーが盛んな地域で、小林家は兄弟4人全員がジャンプ選手というスキー一家。だがスキー競技は遠征費や合宿費、道具代など、金銭的負担の大きい競技で、トップ選手ともなると活動費は、年間1,000万円はくだらないという。ジュニア時代は、シニアほどではないというが、4人の子どもを競技に打ち込ませるための金銭的負担は計り知れない。
「兄のお下がりを使うこともありましたが、全ては賄えませんし、壊れれば買い直すしかありません。4人も競技をしていたら大変だったと思いますし、実際に親は苦労していた覚えがあります」

上月財団は2014年の「スポーツ選手支援事業」認定選手に小林を選出した。
「助成金をいただけたおかげで、遠征にもだいぶ行けるようになりましたし、両親もとても助かったと思います」

着実に力をつけていった高校3年生の小林の才能に目を留めたのは、土屋ホームで選手兼監督を務めていた葛西紀明だった。葛西にスカウトされた小林は高校卒業後、同社のスキー部に入部。だが、社会人1年目の2016-17シーズンは苦戦を強いられた。初めてフル参戦したW杯では1点も獲得できず、葛西からは茶化すように「ノーポイント!」と声をかけられることもあったという。
「勝てなかった時期は何をやったらよいのかわからないような状況でしたし、いろいろと考えることも多かったです。ただ、W杯などでさまざまな経験を積み、1つひとつしっかりと取り組んでいったことで、どうやったら勝てるのかがわかるようになりました」

よい時も悪い時も、試合後は必ず自分の試合をビデオで見返し、分析をするのが、当時から今でも変わらない、小林のルーティンだ。自身に向き合い続けた小林は徐々に頭角を現し、翌シーズンには平昌オリンピック日本代表に選出され、7位入賞を果たした。
「自分としては、すごくよい調子でオリンピックを迎えられたと思ったのですが、表彰台まで届かなかった。ビデオを見返したら、ジャンプが単純に下手くそで。あの経験が自分にとってよい刺激になりました」

奮起した小林は、翌2018-19シーズン、日本男子初となるW杯総合優勝を果たす。上月財団はW杯と北京五輪での活躍を称え、2019年に「上月スポーツ賞」、2021年に「上月スポーツ大賞」を贈呈した。

来シーズンは金メダリストとして世界と戦っていくことになるが、小林に気負いはない。
「世界には強い選手がたくさんいますし、一回勝ったぐらいで満足していたらダメですね。これは競技性だと思いますが、一瞬強かったとしても、一瞬で落ち込むこともあるものです。だから来シーズンの目標は、まずは1勝。そして勝てたら、次の1勝です」

ミラノ五輪ももちろん視野に入れているが、小林はさらに先の未来も見据えている。
「今の僕ができることは飛ぶことだけですが、このままだと日本のジャンプ界は衰退していく一方だとも感じています。ヨーロッパはよい意味で田舎なので、休日になるとみんながスキーをしたり、大会を見に行ったりしますが、日本は遊ぶところも多いし、面白いこと、やりたいことが多すぎると思うんです。ヨーロッパと日本ではカルチャーが全然違うので、どちらがよいとは言えませんが、やはりどこかで環境を変えなければいけないという思いもあります。だから将来的には、ジャンプにエンターテインメントも混ぜて、めちゃめちゃ大きい試合を日本で開催したいというのが夢ですね」

堅実に歩みを進めていく小林は、今後日本のスキージャンプ界で、どのような飛躍を見せてくれるのだろうか。

小林陵侑 色紙

※本サイトは、2022年に上月財団が設立40周年を迎えるにあたり記念事業の一環として刊行した記念誌をWeb化したものです。