金メダルの先にある大きな夢
アマチュアスポーツにおいて、日本代表クラスであっても、選手の経済的な負担は大きい。2021年の東京オリンピックフェンシング男子エペ団体で金メダルを獲得した山田優も、過去に何度もこの問題に直面してきた。
体の弱い子どもだった。少しでも体を鍛えようと、いろいろなスポーツ教室の門戸を叩くも、持病の小児喘息を理由に「君にはできない」と追い返された。そんななか「少しずつでいいからやってみよう」と言ってくれたのがフェンシングだった。だが厳しい指導に耐えても、一向に勝てない日々。「何のためにやっているんだろう」と、当時はフェンシングが大嫌いだった。
転機となったのは中学2年生の時。見かねた指導者が、フルーレ専門だった山田をエペの試合に挑戦させたのだ。その会場で出会ったのが、現在山田のコーチを務めるオレクサンドル・ゴルバチュクだった。エペのキャリアがない山田に対し、「エペで一緒にオリンピックを目指さないか」と声をかけてきたのだ。エペに転向した山田はメキメキと成績を上げていった。
2011年にはU16カテゴリのアジアカデ選手権で優勝するなど、世界的活躍に期待が高まる一方、山田は家計への負担に頭を抱えていた。フェンシングで世界を転戦するためにかかる費用は年間 300〜400万円。1カ月で折れることもあるという剣は1本約3万円もするなど、道具代の負担も大きい。
「姉もフェンシング日本代表に選ばれていましたが、うちは母子家庭で、2人分の遠征費を出してもらうのは無理でした。一度は引退も考えましたが、母に反対されて、自分の遠征費は自分で工面しようと決めました」。そうした時、助成を受けることになったのが上月財団の「スポーツ選手支援事業」だった。2012年、2014年の2度「スポーツ選手支援事業」認定選手として選出された。
「正直、支援をしていただけたことが信じられませんでした。海外遠征に行けないかもしれないと思っていたタイミングだったので、本当にありがたかった。2014年には『上月スポーツ賞』にも選んでいただいて。それまで賞をもらったことがなかったのでふわふわした気持ちで表彰式に伺ったのですが、隣の席に座っていたのが卓球の石川佳純さん。偉大な選手の隣に座れる機会が僕の人生にあるのかと、ずっとソワソワしていたのを覚えています。この時いただいたトロフィーは今でも大事に取ってあります」
2014年にはアジアカデフェンシング選手権大会、世界ジュニア選手権で日本人初優勝を成し遂げるなど、着々とキャリアを積んでいた。だが2019年の五輪シーズンに入ると成績は低迷。「団体メンバーの他の3人は優勝やメダルを獲得していて、周りからは『おまえはいつになったら勝つんだ』と言われていましたし、自分でも五輪に行けるのかと悩んでいました」
練習に対する姿勢を見直すきっかけとなったのは、同じフェンシング選手である妻の引退だった。妻の分まで頑張ろうと奮起した山田は2019年、アジア選手権で優勝を果たし、五輪への切符を手に入れた。
迎えた東京五輪。フェンシング男子エペ団体は、世界ランク1位のフランス、ライバル韓国を破り決勝に進出。ロシア・オリンピック委員会を制し、日本フェンシング界初の金メダルを獲得した。激闘が続いたなかで、山田の一番の思い出は試合でも、勝利の瞬間でもなく、メダルをもらった時だった。「憧れていた金メダルでしたが、『こんなものなんだ』と思っちゃったんです。自分はメダルに対する思いや、かけてきた時間が足りない、自分はまだまだ未熟で、これから強くなれるはずだと気付かされた瞬間でした。もし次の五輪で、個人で金メダルを取ることができたら、その時こそ泣いてしまうほどうれしいでしょうね」
金メダルの先にも大きな夢がある。
「今までは自分が強くなることだけに一生懸命でしたが、まずは未来の選手のためにもフェンシングをきちんと稼げるスポーツにしたい。そして休みの日に親子で『今日はフェンシングをしようか』と遊んでもらえるようなスポーツに発展させたいと考えています」