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株式会社坂ノ途中 代表取締役 小野邦彦

起業家にとって大切なのは、わかりやすさに逃げないこと

小野邦彦

2008年、上月財団はそれまで学生に限定していた支援を拡大し、「ベンチャービジネス支援事業」と名称を変更。2009年の受賞者の一人に選ばれたのが株式会社坂ノ途中の小野邦彦だ。学生時代、バックパッカーとして世界中を巡っていた小野は、各国の環境問題を目の当たりにした。「環境への負担の小さい農業を広げたい」。そう決意した小野は、起業資金を貯めるため、外資系金融機関に就職。2年の勤務を経て、起業。上月財団の支援事業に応募した。
「農業は成果が出るまでに時間がかかります。上月財団の融資は無利子・無担保融資で、短期的に収益を出さなきゃいけないというプレッシャーがなかったのが応募理由です」

だが、小野は自らの貯金を切り崩し、融資にはほとんど手をつけなかった。
「結果的に使いませんでしたが、あの融資がなければ残高数十万円というところまで追い込まれていたでしょう。残高があるということが精神安定剤になっていました」

坂ノ途中の事業内容は主に2つ。提携生産者が栽培した農産物の販売、そして新規就農者の支援などを通じ、環境負荷の少ない農業を広めることだ。今でこそSDGsの取り組みを掲げる企業は多いが、小野が起業した当時は環境問題に配慮した企業は少なかった。
「農薬や化学肥料、化石燃料に依存した農業は持続可能とは思えない。とはいえ、EUのように国が農家に補助金を出して働きかける施策は日本ではマッチしないと考えていました」

高齢化が進む日本の農家が既存のやり方を捨てて、新たな農法を学ぶのは難しい。一方で農家になりたいと思う若者は多く、彼らの7割は自ら有機農法を選択するという。
「けれども安定性が求められる現代の流通において、少量で不安定な彼らの農産物は相性が悪く、販売先の確保が難しいという状態でした」

有機農法を広めるためには、新規就農者へのサポートが必要だと考えた小野は、京都を拠点に地域の飲食店などに農産物を販売。彼らからのフィードバックを参考に、新規就農者が作付けするという双方向の流通システムを考案した。
「僕らは地域のスモールビジネスで構わなくて、このスキームを他の自治体が真似ることで取り組みが広がってほしいと考えていました」

実際、各地から視察の申し込みもあり、小野も積極的に受け入れを行っていた。だが視察には訪れるものの、実行に移す団体はなかった。
「僕らは小さくても良いことをしていれば、勝手に世の中が変わると思っていたけれど、そんなことはあり得なかった。自分たちで社会的なインパクトを生み出せる規模の会社にしなくてはいけないと成長路線に切り替え、4度の資金調達を行いました」

販路を東京にも拡大し、2016年には海外での農業支援にも取り組み始めた。
「東南アジアの山間地では、森林伐採が加速しています。過度な焼き畑や木材輸出のほか、飼料用トウモロコシの栽培が盛んです。ところが作物の価格が安定せず、いくら働いても生活は苦しい。そこで当社ではコーヒー農家へシフトする働きかけを行ってきました」

直射日光を嫌うコーヒーは森で栽培するほうが良質になり、高値になる。森を復活させ、コーヒーを適正な価格で買い取る。その結果、枯れていた湧水が復活したり、都会に出稼ぎに出ざるを得なかった若者が家族と暮らせるようになったりと良い循環が生まれているという。

今でこそ有機農産物を販売する会社は多いが、坂ノ途中の独自性はこのように常に環境と向き合っているところにあるだろう。
「日本の有機農業は安心・安全を謳いすぎたと感じています。農業が都市生活者のためにあるような表現では、農業の価値を矮小化してしまう。一方、僕たちは環境負荷を下げるためには有機農法が必要で、ゆえに農作物が不安定になることもあるけれど、それでも良ければ買ってくださいというスタンスです。有機農産物を売る会社はたくさんありますが、消費者便益を語るこれまでの解像度で見てしまうと、事業も始まらず、社会も変わらない。使いやすい言葉や見慣れた表現に頼らない、わかりやすさに逃げないことは起業家にとって大切だと思っています」

色紙

※本サイトは、2022年に上月財団が設立40周年を迎えるにあたり記念事業の一環として刊行した記念誌をWeb化したものです。