エールインタビュー4

スピードスケート 髙木美帆 Miho Takagi

妥協する理由をなくした1つの言葉

髙木美帆

8年かけて、ようやくつかんだ金メダルだった。北京五輪で髙木美帆は、スピードスケート5種目に出場。1500m、500m、団体パシュートでメダルを獲得し、迎えた最終種目の1000m。連戦で満身創痍の体を奮い立たせ、会心の走りで五輪新記録をマーク。念願となる初の個人種目金メダルを獲得した。

五輪初出場は2010年のバンクーバー五輪。当時は中学3年生、日本スピードスケート史上最年少での選出だった。その後も数々の大会で日本代表として経験を積んでいたが、ソチ五輪でまさかの日本代表を逃す。
「中学生で五輪に出場してから大学1年まで、代表を逃したことはありませんでした。だからなんとなくどうにかなるんじゃないかという甘さが自分の中にあったと思っています」

今も覚えているシーンがあるという。2013年のソチ五輪選考会、自分のレースが終わり、2階席から会場を眺めていた時に、ふと「このままではいけない、変わらなきゃいけない」という強い思いが湧き上がってきた。
「このシーズン、私は極端に変わることを恐れていたのですが、姉や周囲の選手のオリンピックにかける熱量と、自分の熱量との差をこの時すごく感じて。もっと変化を受け入れて、スケートへの向き合い方を変えなければいけないと思ったんです」

最初に着手したのがスケート靴だった。メーカーから提供を受けていた髙木は、久しく自腹でスケート靴を購入することがなかった。
「無料で作ってもらえるのに、他のメーカーの靴を履く必要があるのかと思っていたのですが、そういう考え方もやめようと」

この年、髙木は上月財団の「スポーツ選手支援事業」の認定選手に選ばれていた。助成金があったことも、新しい靴を試してみようという気持ちを後押しした。ちなみにスピードスケートの靴はオーダーメイドで1足20万円以上し、学生にとっては大変な負担となる。
「スピードスケートはお金がかかるスポーツです。競技を続けていると金銭的な問題に必ず直面するといってよいでしょう。新しいことに挑戦したいと考えた時に、助成金はとても助けになりましたし、もらうからには、しっかりと応えないといけないという責任感も生まれました」

その翌年も髙木は「スポーツ選手支援事業」の認定選手に選出。さらに2015年から4年連続と2021年に「上月スポーツ賞」も受賞している。

代表入りを逃したソチ五輪の翌年、髙木は変化への手応えを感じ始めていた。そんな時日本代表コーチとして就任したのがヨハン・デビッドだった。
「ヨハンに『同じ人間ができていることを、なんで自分もできると思わないんだ』と問いかけられたことには、競技生活において強く影響を受けています。言われた当時は『そうかもしれないけど、環境も能力も全然違うでしょ』と思っていましたが(笑)、次のシーズンのW杯1戦目で、小平(奈緒)選手が1000mで表彰台にのぼった姿を見て、私にもできるはずだと気持ちが奮い立ちました。ヨハンのあの問いかけは、その後の自分にとって、妥協する理由をなくした言葉の1つになっています」

そのヨハンは2022年3月にコーチを退任。金メダルを獲得した髙木はシーズン終了後の会見で「少し休む時間を取りたい」と、長期休養を示唆したが、改めて現在の気持ちを尋ねると言葉を選びながら現役への思いを語った。
「これまでシーズンを終えると、考える暇もなく次のシーズンを迎えるという状況でした。シーズンオフといっても休む暇がなかったので気持ちが疲れていたところもあって。今回、少し休みたいとお伝えしたことで、いつ競技を再開するのかを自分で決められるようになって、少し肩の力が抜けました。それで改めて何にも追われていない状況で、スケートについて考えた時に『やっぱりやりたい』と思う自分がいたんです。私にとって『休む』という表現は、もしかしたらスケートに対しての向き合い方を変えるという意味だったのかもしれないと今は思っています」

新たな気持ちでスケートに向き合おうとする髙木がこれからどんな走りを見せてくれるのか、楽しみだ。

髙木美帆 色紙

※本サイトは、2022年に上月財団が設立40周年を迎えるにあたり記念事業の一環として刊行した記念誌をWeb化したものです。